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ヘコんだ気持ちもGTD:「リグレト」が面白い。

「みんなで「ヘコむ」を楽しもう!」というサイト「リグレト」が面白い。
「regret」を語源にしている通り、後悔していることや、悩みを書き込み、それに対するなぐさめを交換し合うことができるサイトだ。コンセプトだけ聞くと、延々ダークに落ち込んでいきそうな気配もあるが、徹底した匿名性と軽やかなインターフェイスのおかげで、「ヘコみ」を笑い飛ばせる雰囲気を保っている。
これは、次の時代のWEBサービスかもしれない。
「ヘコみ」を打ち明け、はげましあう
出来ることは、大きく以下 2つ。
- 自分の「ヘコんだこと」を打ち明ける
- 他の人の「ヘコみ」をなぐさめる
「はげましたい」という気持ち
サイトはFlashで構築されていて、動作は非常に軽快だ。
ちょっと、おとぼけでアナログ感漂うデザインも優しい感じがして素敵だ。
そのせいなのか何なのか、寄せられるなぐさめは、とても暖かく真摯なものが多い。
当然、ネガティブな発言を寄せるユーザー用に、警告を送るための機能も用意されているが、しばらく使ってみた感じでは、そうした悪意のある発言は全くといっていいほど見かけなかった。
心理的な要素が大きいのだろうけど、自分も何かしらの「ヘコみ」を抱えてサイトに訪れ、程度の差こそあれ同じような「ヘコみ」を打ち明けている人の発言を見ると、自然と「はげましたい」と思う気持ちになるのだ。
「誰でもない誰か」との、一期一会のコミュニケーション
徹底した匿名性が確保されていることも大きいだろう。
ユーザーには、固有の名前はおろか、個を識別するようなIDさえ画面上には表示されない。
誰の発言かもわからないし、発言と発言を結びつける連続性もない(この発言をした人が、これまでどんな発言をしたのか、というような履歴は見れない)。当然、プロフィールのようなものもない。
誰のものかわからない「ヘコみ」のつぶやきが、ただ画面上を漂っているだけだ。完全に個の情報を切り離した状態で、純粋に「ヘコみ」だけを発言できるわけだ。
個の無い発言に悪意は抱きにくい。その発言をしているのは、もしかしたら自分かもしれないし、知人かもしれないし、隣で携帯をいじっている誰かかもしれない。
個を消すことで、善意が生まれるのは哀しい気もするが、混乱しがちなネットコミュニティにおいては、こうした形が最も良いのかもしれない。
考えてみると、たとえ数字の羅列のようなIDであっても、それは自分がネット上に作った自分の分身であることには変わりないワケで、そこで普段の自分を全く切り離した存在になることは難しい。どうしても、別IDとしての自分でも、社会性をもった存在として見てしまう。結果、ぶっちゃけた話はしにくいし、弱みも見せづらいように思う。
それが、リグレトでは自由だ。
この自由さが、「リグレト」のサービスの肝だろう。
ゆるい、つながり
「ヘコみ」への「はげまし」には「ありがとう」で応えることが出来る。
自分をはげましてくれた人へ「ありがとう」を送ることが出来て、逆に自分がはげました人から「ありがとう」をもらうことも出来る。ちょっとした感謝のやりとりという感じで心地よい。
個の見えない場所だからこそ、純粋にはげましてくれた人への感謝の気持ちもひとしおだ。
「ヘコみ」だって、GTD
あと、最も面白いな、と思ったのは、はげましてくれた人に「ありがとう」を送ることで、その「ヘコみ」を「成仏」(!)させることが出来ること。
ある意味、「ヘコみ」気分のGTD(Getting Things Done )だと思った。自分の中に生まれた「ヘコみ」を、とりあえず全部吐き出して、はげましをもらってスッキリしたら、「ヘコみ」成敗完了!というワケだ。
コレ、意外と効きますよ。
次の時代のWEBサービス
というワケで、なかなか興味深いサービスなのです、リグレト。
個を消すことで、正のスパイラルを生み出しているあたりに、WEB2.0やソーシャルに続く次の時代のWEBのカタチが隠れているような気が、個人的にはするのだけれど、はてさて。

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