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レビュー:映画『THE MIST』(ミスト)が、凄すぎた。
久しぶりに凄い映画を観てしまった。
リアリティがある。凄みがある。エンドロールの最中、ラストシーンの重みに押しつぶされそうになった。動けなかった。
スティーブン・キングの世界を鮮やかに、かつ、残酷に描き抜いた、フランク・ダラボン監督の手腕に圧倒される。
7月19日の夜、メイン州西部の全域が、未曾有の激しい雷雨にみまわれた。嵐に脅える住民たち。だが、その後に襲ってきた“霧”こそが、真の恐怖だったのだ。その霧は街を覆いつくし、人々を閉じ込めてしまう。時を同じく、デイヴィッドとビリーの父子は食料を買出しに行ったスーパー・マーケットで“霧”に閉じ込められてしまう。他の買い物客が建物の外に出ようとすると、次々に霧の中の何者かに襲われていく。立ち往生を強いられる中、母の待つ家に帰ろうとビリー少年に哀願されるデイヴィッド。そしてある決意を固めて絶望的な状況の中、父子での決死の脱出を図る二人の前についに姿を現す“霧”の正体とは? 人間は見たことのない恐怖の前にどのような選択をするのか。そして奇怪な霧に閉じ込められた人々の運命は?
- 監督・製作・脚本 : フランク・ダラボン
- 原作 : スティーヴン・キング
- 出演 : トーマス・ジェーン 、 マーシャ・ゲイ・ハーデン 、 ローリー・ホールデン 、 アンドレ・ブラウアー 、 トビー・ジョーンズ
大枠のストーリー的には、他のキング作品と同様に、特別に趣向を凝らした展開になっているわけではない。
脅威の正体は、かなり初期の段階であっさり明かされるし、登場人物の行動も大方予想通りに進む。何より、主人公がいわゆる現代社会に生きる一般教養人的な思考・行動をとるので、感情移入も楽だ。
…と思って観ていると、だんだん雲行きが怪しくなる。主人公の持つ規範が本当に正しいことなのか、わからなくなってくる。
そして混乱が、秀逸なカメラワークで映し出される。
(これは撮影手法によるものらしいが、とてもよく撮れている。普通、遠目のシーンと接写のシーンは別々に撮るが、この映画では役者が演じている中を、2人のカメラマンが縦横無尽に動き回って撮影をしたらしい。役者は、今、遠目から体全体を撮られているのか、それとも顔のアップを撮られているのか、わからない。その場所に存在する人そのものを演じる必要があった。その演技を様々にフォーカスを変えながらカメラが切り取って行く。それが、まるで自分がその場で周りを見渡しているかのような臨場感を与えてくれる。)
ストーリーのほうは、「映画史上かつてない、震撼のラスト15分」、と銘打たれているように、強烈なラストに向かって転がるように進んで行く。全く飽きさせないし、内包されているテーマも興味深い。
ちなみに、ラストシーンは原作と異なる。フランク・ダラボン監督発案のオリジナルになっている。原作者であるキングをして、「自分が小説を書いた時に思いついていたら、そうしていた。」と言わしめたお墨付きだ。
心と時間に余裕がある時に、是非観てみて欲しい。
※※※※※※※※※※※ 以下、一部ネタバレあり ※※※※※※※※※※※※
主人公は、ある意味「文化人」「社会人」「現代人」の象徴。
ミセス・カーモディは、「狂信」「異端者」「はみ出し者」の象徴。
(「」つきなのは、それは視点によって全く異なるから。)
誰が正しいのか。生きよう、子供を守ろう、そのためには危険も厭わず戦おうとする主人公か。狂信的な(本人としては、誰よりも敬虔な)ミセス・カーモディか。どちらが正しいのかは、決して絶対的な基準によるものではない。ありえない異常な状況を、ああもあっさり設定したのは、フィクションや神話の世界を現実に目の前にした時に、それまでの良識が何の意味も持たないものになるということを、フラットに判断できるラインまで観客の意識を押し戻すためなのだろう。
喰い、寝て、生殖して、子を産み、ただ遺伝子を残していくだけの時間に、「人生」という名前をつけて、愛だの恋だの成功だの、自己意識に満ち満ちた意味付けをしようとする人間たち。どんな規範にのっとろうが、それは時に破滅的な結末に自身を追い込んで行く。
蟲は愚直だ。食糧がある。生きるために襲い、喰う。それだけ。
人は違う。行動に、理性を信念を洞察を考慮を配慮を愛情を博愛を、そして自己犠牲を求める。求められる。
本能の対局にある行動をとることが、評価される。自己犠牲とは、そういうものだ。誰も出来ないからこそ評価される一方で、出来なければ糾弾されさえする。その犠牲の結果が、実利につながっている必要は全くない。ただ、その時の規範に沿っていれば意味があるのだ。そして誰かが生贄になる。
主人公たちが車内から見上げる巨大な蟲。見ようによっては、神でもあり、悪魔でもあり、けれど結局は巨大な蟲に過ぎない。意味付けをするのは、いつでも人間だ。人間はそうして、神話を生み出し、宗教を生み出し、戒律を生み出し、法律を生み出し、自己と社会を定義し続けてきた。何のために?神の御心に従うために?犯罪抑制のために?否。自己の恐怖と欲望と闘うために。
ラストに吐いた。
蟲に殺されるくらいなら、自分が手を下したほうがマシだという傲慢。子殺しという「大罪」を冒した主人公を、物語はその後さらに情け容赦なく打ちのめす。妻と子供と行動を供にした人たちを殺したのは、蟲ではなく、結局は彼自信の持つ意思だった。スーパーから脱出せず、犠牲者を出しながら蟲と戦い、ミセス・カーモディと対立し、あてなく車で逃げ出し、最後には自ら手を下した。
助かったのに…!助かっていたのに…!
希望と絶望は、表裏一体に隣接していて、善と悪、理性と狂気の狭間は「霧」のように曖昧だ。
人間もまた、地表を這いずり回る蟲に過ぎない。その存在に、意味など無い。
人間とは、そういうものだと、この映画は静かに伝えている気がする。
そして、この映画に点数をつけ、レビューを書き、あなたの感想は私と違うとか、理解できないとか、好きだとか嫌いだとか、そういうことをしている人がたくさんいること自体が、空恐ろしいアイロニーのように感じるのは自分だけだろうか。かくいう自分も、こうしてレビューにもならないレビューを書いてしまっているのだけれど。
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同感です!
面白いですよね!
そして深い!
スティーブンキング原作の映画って、残念なものが多い中、よくぞここまで作ったなと思います。
>なまちょこさん
コメント、ありがとうございます。
なかなか考えさせられる、良い映画だったと思います。
テーマが重い割に、全く退屈しないのはキング原作ならではでしょうね。
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