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日本を誇れ:紀里谷和明 監督 第2作、映画『GOEMON』。

投稿日 2009/02/03閲覧数 9,937 viewsコメント数 3 Comments add to hatena (4) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0)
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前作『CASSHERN』から 5年紀里谷和明 監督の最新作が発表された。その名も『GOEMON』。2年のリサーチ、3年の制作期間をかけた意欲作。

公開は、2009年5月1日

『CASSHERN』同様、鳥肌が立つほどヒロイックなアクションと、美しさの中に暗さを孕んだ世界観に期待が高まる。

刮目して見るべし

ティーザートレーラー。

もう少し長めに、予告編。

新しい「日本」の表現

今回の舞台は、戦国時代。主人公は、かの有名な盗賊、石川五右衛門

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1582年、天下統一を目指した織田信長は、その夢目前にして、家臣である明智光秀の謀反により本能寺で暗殺される。しかし、信長の右腕であった豊臣秀吉が光秀を討伐し、その功績をもって信長の後を継ぐ。世は、火種を残しつつも一時の平和を謳歌していた。そこに、彗星のごとく現れる一人の盗賊。その名は石川五右衛門。超人的な身体能力を武器に、金持ちから盗み、貧しき者たちに分け与える英雄に庶民は熱狂する。ある夜、五右衛門は、盗み出した財宝の中に南蛮製の箱を見つける。その箱の中にはある重大な秘密が隠されていた。忘れ去ろうとしていた過去の扉を開いてしまう五右衛門。箱の秘密を追う石田三成と霧隠才蔵、そして徳川家康と服部半蔵。真実を巡る壮絶な戦いが始まる。

舞台は、日本。『CASSHERN』でも、土台に和の雰囲気を漂わせていたけれど、今回はストレートに舞台を日本にしてきたところに、挑戦を感じる。戦国時代をどう料理するのか、楽しみだ。

「アイコン」としての人物に、何を語らせるか

前作『CASSHERN』は、賛否両論悲喜交々。むしろ批判のほうが多かったように思う。
個人的には、『CASSHERN』のような、新しいクリエイティビティへの挑戦が評価されないようでは、日本の映画界は死んでしまうと思うんだけれど。水戸黄門で満足する人は、コタツに入ってずっと再放送を観ていればいい。

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例えば、『CASSHERN』を原作の再現度で評価しようとする人がいるが、過去の作品の焼き直しや、原作の無難な映画化ほど、見ていて痛々しい作品もない。問題は、「何のために創るのか」「そのために何を題材にするのか」ということであって、「どれだけ原作に忠実であるか」「いかに観客の期待に応えているか」ということは、作品を測る物差ではないのだ。
そういう意味で、前作『CASSHERN』は、「新造人間キャシャーン」をモチーフに新解釈を加えたものだったと思うし、今作もそのスタンスは変わっていないのだと思う。「石川五右衛門」「霧隠才蔵」「服部半蔵」。史実上の人物としてよりも、もはや、ある種の「アイコン」と化した人物達。彼らのアイコンとしてのパワーを利用しつつ、何を語らせるのか。どう再構築するのか。そこに興味がある。

「自分が思っていた石川五右衛門は、こんなのじゃない。」「史実と違う。」と言うような、的外れの批判が出ないことを祈るばかりだ。(今作では流石に無いか。。)

日本を誇れ

邦画で、予告編を観て鳥肌がたったのは久しぶりだ。それだけの美しさと激しさと情熱が、紀里谷監督の作品には込められていると思う。『CASSHERN』を観た時にも感じたが、今ないものを創ろうという気持ちが溢れていて心地良い。底辺に流れる、人間臭いヒーローへの憧憬や、和製アニメ的表現へのオマージュも、観ていて、あぁ日本人で良かったなと思えて嬉しかったりする。

美しくクールなようでいて、何処か汗の匂いがするような、人間くさいヒーロー像。

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こういう絵を撮れる監督が日本に居て、正直に嬉しく思う。

誇ろう、日本を。誇ろう、過去ではなく、未来の作品を撮ろうとする人たちを。

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『CASSHERN』アクションシーン。今観ても、鳥肌が立つ。

『GOEMON』公式サイト

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